第5話「好敵手(ライバル)」
この誕生秘話を書き始めて、ずっと気になっていたことがある。それは、第1話を書き終え、編集長から第2話以降の題名を聞かれて、つい勢いで第6話までの題名を伝えた中の、第5話の題名「ライバル」という言葉である。
「ライバル」の定義は、互いに一歩も譲らない両者を言うのではないのか、歯が立たない相手をライバルと言えるのか・・・。この疑問を解くためにもこの第5話を書き進めていきたいと思う。
1997年度、私は持ち上がりの6年生担任、転任3年目となり校内での仕事量も一層増えてきたが、子どもたちは4月当初から容赦なく私にせがんだ。
「先生、早くドッジの練習をしよう!」
Sくんの話では、昨年の彼らの活躍する姿を見て、自分もドッジをしてみたいと言う子が増えているらしい。しかし、今のような定期的にドッジの練習をする感覚が当時私の中には全くなく、大会前に集まればいいとしか考えていなかった。6年生の1学期は最高学年として子どもたちも忙しく、加えて前年度から始まった三田リレーカーニバルに向けての練習、修学旅行、その報告会とばたばたの状態から解放されてほっとできたのが6月下旬。いよいよ選手集合、ベストトゥエルヴの2年目が始動した。
体育館に集まった6年生男子が、30数名、覚悟はしていたが2チーム創らなければならない。チーム名は、ベストトゥエルヴのベストは入れたいと言う要望が強く、○○ベスターズにしようと決定、あとは○○に何を当てはめるかで、二転三転。他の候補は忘れてしまったが、当時初の日本人大リーガーで話題沸騰だった、野茂投手のトルネード投法から、トルネードベスターズが兄弟チームとして誕生した。
兄弟チームが誕生したことで、練習に試合形式が取り入れられ、メニューもかなり充実してきた。あいかわらず子どもたち任せの練習が大半ではあったが、それでも当時のノートが残っているのを見てみるとそれなりにあれこれと攻撃パターンを考えていたようだ。体格のいい子が揃い、戦力もかなり充実してきたのが実感できた。前年度クロネコで予選突破できたことも自信につながり、この夏こそと気合いも充分でのぞんだ1997年度コープカップ・・
ベストトゥエルヴとトルネードベスターズは、予選を順調に勝ち進んだ。そしてあれよあれよという間にベスト4、なんと準決勝で相まみえることになったのだ!神戸中央体育館の半分のコートをけやき台の体操服チームがしのぎを削っている・・だれがこのような光景を想像していただろう?
今考えてみると参加チーム数も少なく、勝ち上がっていくための試合数も少なかった、しかしどのような大会でも勝ち進むのは難しいものである。私はその光景にすでに満足感を覚えていた。
「ここまでこれたら十分だ・・よくがんばった!」
しかし、ここまで両チームがきたということはつまり、どちらかが決勝に進むことになるのである。「決勝」これまた「夢」であったものの、予想さえしていなかったこと、そしてその相手は、あの
「ひょうたんファイターズ!」
準決勝はベストトゥエルヴが制し、どちらも最高のドッジを楽しんだというう表情でコートを後にした。
「さぁ、いよいよ決勝や」
「やったー!」
「相手はあの、ひょうたんファイターズや」
「やったー!!」
子どもたち、いや私も含めてひょうたんとできること自体が「やったー!」であった。あの全国大会でも上位に食い込む名門チーム、ひょうたんファイターズと試合を「させてもらえる」そんな感覚が私にはあった。クロネコで見たあの圧倒的な強さ、そしてこのコープカップでもすべて全滅で勝ち上がってくる他を寄せ付けない破壊力抜群の攻撃、鉄壁のディフェンス。そのチームにいったい自分たちのドッジがどこまで通用するのか?子どもたちの試合前の表情は最高だった。決勝に進んだから?もしかしたら優勝して全国に行けるかもしれないから?負けても2位で賞状をもらえるから?そのどれとも違ったのではないだろうか、大好きなドッジを最高の舞台で最高の相手とできる!その単純で純粋な気持ちがあの表情に出てきていたように思う。
場内のアナウンスとともに子どもたちが整列、応援席からも歓声があがる。私はベンチで身震いがした。涙が出るほどの感激におそわれた。ジャンプボールで試合開始、容赦ないひょうたんファイターズからの攻撃はひとりまたひとりと確実に我がチームの内野を減らしていく。それでも子どもたちは懸命にボールに食らいついた。あのひょうたんのアタックを止めてやる!その気持ちだけだった。勝つとか負けるとかそんな感覚ではない。だから一球受けることができれば子どもたちの志気は上がる。
「ひょうたんのアタックを止めた!」
いくら内野が減っていても関係ない。ましてこちらのアタックが決まれば子どもたちにとっては最高の勲章だ。
「ひょうたんを当てた!」
外野に出て行ったひょうたんの選手はすぐに、外野から当てて戻ってくる。それが現実、それでも子どもたちは懸命にアタックを投げ続けた。
第1セットは、私の記憶では、内野に3,4人残っていただろうか、ベンチに選手が駆け戻る。
「どうや、すごいかひょうたんの球は?」
「すごい!吹っ飛ばされた!」
「でも、U、とった!すごかったぞ!」
「全滅されなかったぞ、よおし、このままは終われない!」
「第2セットも力いっぱいドッチを楽しんでいこう!」
「おーっ!」
第2セットが始まり、第1セットのベストトゥエルヴの予想外の健闘を目にした観客は、更に盛り上がった。観客席から一斉にベストコールが巻上がってきたのだ!
「ベスト、チャチャチャ、ベストチャチャチャ!」
本当にとてつもなく強いひょうたんファイターズ、相手が全く試合をさせてもらえなかった、その常勝チームにスコアこそ大差はついたものの今日初めて試合らしい試合をしたのが、ベストトゥエルヴだった。観客は、もしかしたら一分の望みを託したのであろうか?いや、そんなことはあるはずがない、どんな素人が見ても、勝つ見込みはなかったはず、ただ子どもたちのひたむきなプレーに声があがったのではないか?
ベンチで私は体育館全体が、ベストを応援してくれているような錯覚に襲われた。ものすごい声援だった。冷静に考えればそんなことはないはず、ひょうたんの応援席からも「いけいけひょうたん!がんばれがんばれひょうたん!」のコールがあったはずだ。しかし、その声も聞こえないほどの盛り上がりだった。
結果は、力尽きて全滅。ひょうたんファイターズはそのような雰囲気はものともせず、怒濤のごとく攻め、完璧な守りをし、兵庫の代表になった。彼らは技術だけでなく、精神的にも最高に鍛え抜かれたチームだった。
閉会式で、「兵庫に新しいチームが誕生しました!」と最大の賛辞の言葉をいただいた。(誕生は1年前なんですが・・(^_^;))表彰式が終わり、体育館の2階のフロアでベストトゥエルヴ準優勝、トルネードベスターズ4位の結果を共に讃え合った。子どもたちの夏は終わった・・と思った。
しかし、あのひょうたんファイターズの平岡監督から、なんと練習試合のお誘いを受け、子どもたちは夏休みにも大好きなドッジをすることができた。(通常なら、大会が終わればそれでドッジは休業だからである)
全国大会前のひょうたんファイターズの本拠地、尼崎の上坂部小学校にお邪魔した子どもたちと私は緊張の連続。丸1日ドッジをする経験も初めてな訳で、とにかくまたまたドッジに一歩のめり込んだ子どもたちと私であった。
この時点でも、まだまだひょうたんファイターズは、「あこがれ」で、まさか今後、何度も大会で試合をしていくことになろうとは思いもしなかった。ライバルなどと思ったこともなかった。しかし、今回このようなべストトゥエルヴの歴史を整理していく機会をいただいて、改めて我がチームにとってのひょうたんファイターズの存在の大きさを実感するのである。この後も何度も挑戦し、叩きのめされ、それでも練習試合にはお誘い下さり・・この歴史があってこその今のベストトゥエルヴである。ライバルなどと言うのは、もしかしたら非常におこがましいかもしれないが、勝手に言わせて頂くことにしたいと思う、
「ひょうたんファイターズは、ベストトゥエルヴの永遠のライバルです!」
(続く)
コラム
この時の6年生の弟妹が、のちに第2期第3期のベストトゥエルヴになる。当時はまだ低学年、昨年のベストのメンバーは1年生だった。ひょうたんの練習試合にも家族に連れられて見に来ていたが、記憶にはないそうだ。ただ当時の1年生の担任から、「大向先生、うちのクラスのグループ名で、「ひょうたん」ってのがあるんやけど、ドッジのチームらしいね」と声をかけられたことがあった。「ベスト」とつけずに「ひょうたん」とつけるとは・・(^_^;)苦笑した思い出がある!